大作曲家の人生から学ぶ(ベートーヴェン)

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夜になると雪が積もり始める寒さが続いていましたが、今日はすっきり晴れました。あさってからは4月!

2日間のレッスン休みを利用して、やっと「音楽史の旅」ベートーヴェンを書くことが出来ました。更新の都合上、upは4月7日になります。

ベートーヴェンのピアノソナタの殆どが、貴族に献呈されている背景には、パトロン制には、返礼の義務があることや、パトロンの方でも、偉大な芸術家を抱え込むことが、ある種のステイタスだったことがあります。

時流を見計らう才にも長けていたベートーヴェンは、パトロン達の支援を受け、収入につながる仕事をして行きましたが、克己心や、独立心、自立心をかなり強く持っていた様です。

ベートーヴェンの逸話の数々は、ある程度知っているつもりでいましたが、深く知って行くと、様々な人生の局面において、必然的な行動というのが見られ、知れば知る程興味が湧いてきます。

それにしても、大作曲家といわれる人達の人生は、凡人より過酷な生い立ちや、乗り越えなければならない壁に満ちて、スリリングですね。

音楽家に取って一番大事である聴覚を失う運命は、あまりにも絶望を背負い込んだことでしょう。

以前、美術の本で、スペインの画家のゴヤの絵に例えられているのを読んだことがあります。

「耳の聴こえないベートーヴェンは、聴覚の無を通して、人間としての孤立感を抱えていた。それは、まるで周囲が真っ黒に塗り込められたゴヤの絵の世界に似ている。」と…。

ナポレオンとベートーヴェン

アンバリッド

この写真は、ナポレオンが眠るアンヴァリッド(廃兵院)です。(のだめの映画で、幾度も出て来たアレクサンドル三世橋から、まっすぐにアンヴァリッドを望むラインが綺麗にみえます。まさに、ゴールド三昧。)

イタリアのコルシカ島(フランス領・面積:四国の約半分)の生まれのナポレオンは、フランス革命後の混乱期を鎮圧したパリ市民の救世主として、ヨーロッパ統合を夢見つつ、軍事力でヨーロッパを征服していきました。

ナポレオン軍は、153回戦って、113勝40敗!

ナポレオンの通った所には、Nの刻印があったりします。
Nの刻印

ベートーヴェンは、当時、フランスの支配化にあったウイーンにいながらも、ナポレオンを尊敬し、英雄として讃え、「交響曲第三番 英雄」を書きましたが、35歳でナポレオンが皇帝に即位したと聞くと、幻滅しheart03.gif、怒ってicon_evil.gif献呈しようと掲げていた「ブオナパルテ(伊)」(ボナパルト:ナポレオンの名字である)の文字を消してしまいましたmemo.gif

ナポレオンが低い身分から出発して、高い地位に登りつめた偉大さに、多少は自らを重ね合わせていたと思われますが、その英雄が、まさにウイーンを攻撃している情勢が、「英雄交響曲」の献呈を却下した、大きな要因となったそうです。

しかしながら、ウイーン12年間もナポレオンの支配化bomb.gifという状況の中で、ナポレオンの英雄ぶりを讃えていたベートーヴェンは、やはり独自の意思を持っていた様です。

ナポレオンは、後に、セントヘレナ島に流刑wave.gifになり、遺骸は、彼の遺した「セーヌ河のほとり、あんなにも愛したconfident.gifフランス国民の真ん中に眠りたい」という言葉通りの場所「アンヴァリッド」に今も納められています。

皮肉なことに、その巨大な棺は、ナポレオン自身が建設を命じた「凱旋門」を通ることで、パリ帰還を果たしました。

生前中、ヴェネチアを破壊したりbomb.gif、アルプスを越えてhorse.gif、イタリアに遠征したり、エジプトやロシアに遠征したりhorse.gif…、どんな方だったんでしょうね。

音楽史 — 12:40 AM  Comments (3)