ナポレオンとベートーヴェン

アンバリッド

この写真は、ナポレオンが眠るアンヴァリッド(廃兵院)です。(のだめの映画で、幾度も出て来たアレクサンドル三世橋から、まっすぐにアンヴァリッドを望むラインが綺麗にみえます。まさに、ゴールド三昧。)

イタリアのコルシカ島(フランス領・面積:四国の約半分)の生まれのナポレオンは、フランス革命後の混乱期を鎮圧したパリ市民の救世主として、ヨーロッパ統合を夢見つつ、軍事力でヨーロッパを征服していきました。

ナポレオン軍は、153回戦って、113勝40敗!

ナポレオンの通った所には、Nの刻印があったりします。
Nの刻印

ベートーヴェンは、当時、フランスの支配化にあったウイーンにいながらも、ナポレオンを尊敬し、英雄として讃え、「交響曲第三番 英雄」を書きましたが、35歳でナポレオンが皇帝に即位したと聞くと、幻滅しheart03.gif、怒ってicon_evil.gif献呈しようと掲げていた「ブオナパルテ(伊)」(ボナパルト:ナポレオンの名字である)の文字を消してしまいましたmemo.gif

ナポレオンが低い身分から出発して、高い地位に登りつめた偉大さに、多少は自らを重ね合わせていたと思われますが、その英雄が、まさにウイーンを攻撃している情勢が、「英雄交響曲」の献呈を却下した、大きな要因となったそうです。

しかしながら、ウイーン12年間もナポレオンの支配化bomb.gifという状況の中で、ナポレオンの英雄ぶりを讃えていたベートーヴェンは、やはり独自の意思を持っていた様です。

ナポレオンは、後に、セントヘレナ島に流刑wave.gifになり、遺骸は、彼の遺した「セーヌ河のほとり、あんなにも愛したconfident.gifフランス国民の真ん中に眠りたい」という言葉通りの場所「アンヴァリッド」に今も納められています。

皮肉なことに、その巨大な棺は、ナポレオン自身が建設を命じた「凱旋門」を通ることで、パリ帰還を果たしました。

生前中、ヴェネチアを破壊したりbomb.gif、アルプスを越えてhorse.gif、イタリアに遠征したり、エジプトやロシアに遠征したりhorse.gif…、どんな方だったんでしょうね。

Filed under: 音楽史 — 12:40 AM
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3 Comments »
  1. ペルル先生、こんにちは☆
    歴史に疎いみかんぴあのです。だから未だに「ナポレオンが右手(左手?)を隠しているのはでかい水かきがついているからだ」という、ナポレオン=宇宙人説を信じて疑いません(笑)

    弟子がBetにナポレオンがセントヘレナで死んだと伝えたとき、もっとがっかりするかと思ったら「私の中で彼はすでに死んでいる」と言ったそうです。「お前はもう死んでいる」って、まるで北斗神拳のようです(爆)

    コメント by みかんぴあの — 2010年3月30日 12:41 PM
  2. みかんぴあの先生、コメント有難うございます☆♪

    あれっ、右手か左手は、胃が痛くて当てているとか、昨日ちょうど読んだそこですか!
    なんと、宇宙人説まで飛出して来るとは(^0^)水かきを、想像してしまいましたよん。

    北斗の拳ですか!(爆)でも、ベートーヴェンも、よく色々言いますね、ははは☆
    Nは、ロシアに遠征したのがよくなかったんでしたよね。。

    ナポレオンパイが食べたくなりました〜♪

    コメント by admin — 2010年3月30日 4:26 PM
  3. […] http://www.perle-piano.net/wp/?p=25976 「ナポレオンとベートーヴェン」 http://www.perle-piano.net/wp/?p=6988 「徒労に終わったドビュッシーの家探し(1)」 […]

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