(シリーズ3回目の小学2、3年の時のピアノの先生の思い出話です
)
「そろそろ下巻に入るから、買っておいてね!」と、先生が仰るので、私は母と、小さなレコード屋さんの片隅に置いてあった楽譜コーナーに行きました
母と一緒に、新しい楽譜を買いに行ったのも、楽しい思い出です。
ある日、レッスンの帰り道、途中まで迎えに来てくれた母に言いました。
「きょうね、せんせいの大きなポスターはってあったんだよっ
」と、
ピアノの脇の壁に貼ってあった、先生のリサイタルのポスターの話をしました。
母は、「○○先生は、有名な音楽大学を出ているんだよ」と言いました。
その時初めて「音楽大学」という単語を聞いたように思います。
「へえ〜、なんていうだいがく
?」と私。
そこで、母は、なんと記憶違いをして教えました(!!)
「何て言ったかなあ、武蔵野音楽大学…だったかな!」
(いえいえ、東京芸大です
!あとになってわかりました
)
「そうなの!
」と、私はしっかりその名を胸に刻んでしまい、その十年後に武蔵野音大に入るわけです。
もし、あの時、先生は芸大卒だと母から聞いていたなら、芸大に入った…(??)かも…(苦笑)
小学校高学年になると、私は、本屋で「音楽大学受験学校案内」「入試問題集」を立ち読みで読みあさるようになり
、しまいには購入しました
4年生に上がるとき、病気になった祖母を母が看るために、父を残して郡山に引越しし、一年間住むことになります
その先、郡山では「方言の壁」という課題が待ち受けているのですが…。
この小学校2,3年生の、ピアノの先生との思い出は、柔らかな色に包まれた記憶として、深く刻まれています
威張ったところのない、優しい先生でした。
数年前も銀座で、演奏会を行ったとか、このブログを書いてから、現在のご様子を少し拝見することが出来ました
やはり、おいくつになられても、ドレスの似合う、笑顔の素敵な先生です。
きっと、先生には大切なご家族の他にも、「音楽」という素晴らしい支えがあって、幸せだったのでしょう
だからこそ、幼い私が、そこに惹かれ、こうしてピアノの先生になってしまうほどの、素敵な存在の在り方をされていたのでしょうね
たった2年間でも、心に光を残すことの出来る、そんなピアノの先生になりたいと思いました。

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