近況
続 ピアノの先生と結婚相手

今の幼い可愛い女の子が、大きくなる頃には、ピアノの先生は、もうレッド・オーシャンではないと思うので、のびのびと、好きなようにやったら良いと願っています。
他にも得意なことがあるなら、それと掛け合わせて、独自の仕事をするのもいいし、他の職業に就いて、小さい頃から音楽で培った精神を活かして昇華させたっていいですね。
起業女子も多く、今後ますます、自分で何かビジネスを起こそうというのは広がっていくなか、「職業的な良心」は大切にして欲しいと思っています。
趣味の延長線上ではなく、専門性に情熱と責任を持って深め、さらに次の世代へと繋げていけると素敵です✨
さて、私は、発表会の時間計算を、神業のような手法で(笑)主人に手伝ってもらいました。苦手分野は自分では前に進みません😓
なんだかんだと言いながらも、ある意味、自分のfanになってくれる人が旦那さんだと、「ピアノの先生」の職業は、一人の時よりずっと心強くなりますね。
両親の応援というのも、なかったらここまで続けて来れませんでしたし、
周囲の理解のもと、続けられる「ピアノの仕事」。
書いているうちに、「がんばらなくては❗️」という思いにさせられました😉

ピアノの先生と結婚相手

ピアノの先生、特に自宅で行う場合は、旦那さんが転勤で大きく移動がないことが、結構大事なポイントです。
私は、指導歴25年ですが、その内17年は、自宅で教室をしながら、週2回は外部の音楽教室にも勤めていました。3ヶ所かけもちだった時期も、さらに他の講師も引き受けたこともありました。
「他人の釜の飯を・・」の経験は必要だと思っていたからと、一度教え始めると、長く成長を見届けたくて、長くなったのだと思います。
ソロや伴奏で舞台に上がるほか、レストランやラウンジ、結婚式でも弾く仕事もしました。何十曲も準備しなくてはならないので、楽譜に囲まれていました。

それでも、独立してからの方がずっと大変です😃😃
だれに向けて書いているか、というと、「ピアノの先生」になりたい女の子のためにです。
私の年代の「ピアノの先生」は、レッド・オーシャン。人数も多いので。
ピアノ科が1学年500人いた私たちの時代から一転して、いまは、音大生1学年7分の1です。(我が母校の場合。)
話を戻しますと、転勤で福島を離れていた時に痛感したのが、ピアノの持ち歩きが困難であること。
グランド1台を持っていったものの、一部屋潰れますし、練習できる環境(物件)を探すのは一つの市に、2〜3しかありません。
子どもの頃からピアノと一緒、音大の時は、ピアノとベッドをワンルームに置く生活で、視界にピアノが入らない日はない人間と、
普段の生活にピアノが視界に入ることのない人間が、一緒に住むと、まずピアノは邪魔だと思われます。
たまたま私は、「ピアノが趣味で弾けて、音楽を聴くのが好きな人」と結婚しましたが、それでも、転勤先で、ピアノの楽器の維持は負担だと思われていました。
長いのでまた続編書きます。

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すべて自由…は、子どもたちのためにはならない
日本人は働きすぎ!?
「時間が足りない」というのは、おそらく大人だけでなく、子どももそうなのではないかと思います。
今の世の中、みんな何かに焦っていて、本当にやりたいことはやれていないし、それが何なのかさえわからなくなるほど、時間が足りない。
充分に休んだ、と思える日も多くはなく、いつももう少し休みがあれば、かえって仕事の能率が上がるのに・・と思う方も、どんな職種でも多くみられるのではないでしょうか。
とはいえ、私は、いつもより1日多く休日を得ただけで、リフレッシュしました(笑)
ムレスナティーのフレバーティーは、パッケージを眺めているだけでもキュートですが、香りがとても良いのです
メロンのフレーバーが美味しすぎます
生徒さんたちも、これからの季節、練習の後は、水分補給をお忘れなく
ピアノの練習を楽しくする工夫をしてくださいね
充実の、介護のランチ会
この日は、秋に介護の勉強をしたお仲間とのランチ会でした。
甲府より少し東の、春日居町(石和温泉と、山梨市の駅の間)にある、「すし屋のスパゲッティ ツヨシ /玉寿司」に行って来ました。
海への憧れからか、お寿司屋さんがとっても多い山梨県!
こちらのお店は、パスタも、新鮮な魚介ネタ(ウニとイクラ!とかゴージャス)が具になっているものも
私は、わさびのバター風味のパスタランチにしました。甘さ控えめ手作りデザートも美味しい〜!マグロの色がきれいですよね。お寿司ランチもありました。
朝は雨で、はじめての場所で心配していましたが、春日居町の名前のように、ポカポカと暖かい日差しの中、お座敷で寛いでお話が弾みました♪
すでに、介護のお仕事をしている方や、訪問介護を始めた方、これから事業を立ち上げる方々など、皆さん、すごく生き生きとされていたのが印象的でした!
綿密に事業計画書を書かれている方も!
刺激を沢山受けました。
リーダーシップに優れた方もいれば、
思いやりにあふれた方もいる。
若いのに踏み出している勇気を持っている方もいる。
能力もEQも高い方達ばかりです。
こういうしっかりした方々が、ご高齢者や障がいを持つ方の近くに寄り添ってくれたら、どんなにか心強いだろうと思います。
利益が優先される、年々世知辛くなるばかりの世の中に、本当に必要な仕事とは何かと考えます。
歳を重ねることは、これまで得たものも多い一方、失われていくことも多く、その喪失感はなかなか埋めることが出来ないものです。
そういう孤独とか、生きる意欲を失った時の助け…、ふと振り返れば、周囲に応援してくれる人がいた!と確認するとき、そのかたやご家族は、どれだけ心が救われるかわからない。
荒れた言動は、寂しさや焦り、本人の助けを求める心の叫びなのだから。
心の面では、とどの詰まりは自分が挫けたのを助けるのは自分しかいないけれど、日常生活動作を支援してくれる人がいて、色んな懐かしい昔話を聴いてくれる相手がいることで、どれほどそのご高齢者(に限らず介護を受ける方)の生活は彩りを増すことでしょう。
初任者研修と名称が変わったけれど、どんなに需要が大きいかわからないのに、確かな収入に加えて「ヘルパーさん」という名称も、なにかもっと威厳あるものに変えたらどうかしらなど考えてしまいます
私も、人生の最期は、いい居宅医療や優しい方の介護を手厚く受け、穏やかな死を迎えたい…、そんなことまで考えました。
ピアノのセミナーに幾つも行くのとはまた違った、大切なひとときです
[カメラマン交代により、同じアングルの写真複数連ねてます〜]
続ける力
時間をかけて、身体で覚えたような記憶「手続き記憶」は、歳を重ねても、それが衰えたりはしにくいと言います。
新しい知識や出来事は、人を新鮮な気持ちにさせ、脳も活性化しますが、その反面、これまでやって来たことを、とても大事に思うようにもなります。
継続してきたことは大きな力となり、やがて、晩年に差しかかって尚、「残存機能」として残り、自信に繋がります。
人は、誕生から、その終末までに於いて、あまり他の人の手を借りないで過ごすことの出来る期間は、長い人生の中の何十年かの期間です。
せっかく覚えたことは、鈍麻させずに磨いていきたいものです♪
「ピアノの先生」という仕事
甲府に居る間に、一度は観たかった信玄公祭りに行って来ました!
今年の武田信玄役は、片岡鶴太郎さん。眼光鋭く、プロの存在感。
さて、本題♪
かつて「ピアノの先生」という職業に、没頭していた私。
今は、少し遠くから眺めています
いずれ郡山に戻ったら、ピアノ教室を再開しようか…と思う反面、これまでのように、全身で没入出来ない何かがあります
郡山は、音楽都市を謳っている通り、至る所で(特に、部活動に力を入れる県でもあり)音楽の部活のコンクール「金賞」とか、PTNAのグランプリ受賞など、若者達が音楽面でも活躍しています。
特に、部活動に言及すると、越境してまで入学希望者が大勢いる公立中学での学習面や音楽活動など、所属する学生達、保護者様共々にとって、大変誇りの持てる内容なのだと思います。
しかし、コンクール。
良い面も勿論あるのでしょう。
でも、競争心と向上心は、根本の目的を助長もするが、見失いもする諸刃の剣ともなると、私は思っています。
特に「誇り」。
「一生かけても、完成には至らない」という芸術において、
まだ若い中学生や、高校生、今は小学生さえも、「コンクールでうちの学校は何賞だった」ということが、誇りの源となってしまうことは、音楽の長い道のりに大切な「謙虚さ」を、時に忘れてしまうのではないか。
人生の最初の頃に、そのように捉えてしまったら、
音楽そのものを、聴いたり奏でたりする、純粋な喜びを、もしかしたら知らないままになる子がいるんじゃないかな、と思ったりします。
「上手くなりたい!」「解りたい」という気持ちを持つことと、勝つこと選ばれることが、本末転倒になってはいないだろうか。
だからこそ、市を挙げて煽るっていうのは、あまり好ましいことばかりとは感じないのです。
誇りが奢りになってしまう時、基礎を見つめ直すことが、自分で出来るかな。
イマジネーション豊かなものは、育っているかな
お家で、外で、本当に好きで、音楽を聴くことのあるご家庭はどの位でしょうか
県の中のことばかりではなく、全体的に、今コンクールは盛況ですし、そういうことに乗ることに対応することも、お習いされる方々のご要望でもあるのは確かです。
でも、なぜかそこに、私自身の音楽に持つイメージとは、違ったものを感じています。
もっと心の力の抜けたもの…
ベートーヴェンが弾きたい、ショパンが弾きたい、ドビュッシーの何々が好き!、と、心から好きなものを持っていてぶつけてくれる方に、そこから繋がる、芸術の話をして行きたいです。
今後、またピアノ教室経営ということで、やっていくとすれば、納得の出来る答えはまだ見えて来てはいませんが、ちょっと辛口を綴った、今日のBlogです
武田24将率いる甲州軍団の出陣行列のトリ、鶴太郎信玄公
夜桜の舞鶴城公園での帰陣式
「悲嘆のプロセス」
「夜に書いた手紙は、朝読み返してから…」という言葉通り、夜のブログも危険です
。
ずっと書きたかった、このテーマ。
「悲嘆のプロセス」を最初に、6段階で示したのは、「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キュープラー=ロスです。この精神科医の女性は、人格的にもとても優れた方だったらしいですが、この方の説は、主に、亡くなる本人が、死を告知されてから味わう段階についてです。
父が亡くなった13年前に読みました。
たまたまその前年、私は上智で哲学と社会学の科目等履修生をしており、アルフォンス・デーケン先生の「人間学」の授業も受けました。その時に、「死生観」とか「悲嘆のプロセス」「グリーフ・エデュケーション(悲嘆(喪)の仕事)」についても知ったのです。
デーケン先生の「悲嘆のプロセス」は、12段階あり、主に、残された方の人に向けてのステップです。
死に限らず、喪失体験なら、例えば引っ越しでもなんでも適用出来るそうです。とても参考になります。
その段階は端的に示されているので、ここに12個列挙するのは容易ですが、今は省きます。その訳は、この段階は、社会生活の中で役割を担う中で、中断され、進んだかと思うと、もっと酷い境地に陥る事がある事を重々感じているからです。(プロセス通りに当てはまる訳ではないという意味です。)
このプロセスが完了するには、少なくとも数年を要する様で(死別の場合かもしれませんが)、私の述べたいのは、これを甘く見てはいけない…と思う事です。
本人に取っては、惜別の思いは「切り取られた時間」となるので、生きた心地はしないでしょう。
喪失の対象によって、過去の一部が切り取られるのか、現在がなのか、未来が…など異なる様ですね。(未来だけは選択出来ますが、割り切れるかどうかは別でしょう。)
例えば、私が父との死別の時に、一番の薬となったのは、母と共に思い出話を語る事でした。それも、そんなに深刻な調子でなく、あたかもそこに居る様に。。当時は、父が出張のバッグを持って、まるで応接間のドアから入ってくる感覚にとらわれる事がしばしばでした。母は、どちらかというと、敢えて自分からは思い出話はしたがらなかったですが…。
ただ、私は、「思い出を分かち合える」というのは、幸せなことだと思いました。
それこそが薬でした。
「喪の仕事」というのが、日本人は大変下手だそうで、大病を患った人にでも、本人が元気そうにしていると、「お元気そうで」と声をかけてしまったり、無理に気持を次に(他へ)切り替えようとしてしまったりするという話も聞きます。
しかし、私はこの「悲嘆」というのは重要なことだと思います。表面に出すかどうかは別として。
時間が解決という言葉も、全面的には当てにありません。「ピンチはチャンス」とか、「幸不幸は受け取り方次第」なんて言葉も、本人の立場に立たない限り、悲嘆に暮れている人には無意味な響きでしょう。(私が言われた訳ではないので、誤解の無き様お願い致します下から3段落目の為に述べています。)
半月程前、私がセミナーに行った日が、両親の結婚記念日だったので、その週末に、突然母が、あるVTRを出して来ました。
父が死の前年(死ぬなんて本人も全く思っていなかった)に、学生時代の親友4人で北海道へゴルフ旅行に行った時のものです。1度観たきり10年位封印してありましたが、私は、父が旅先の夜に
、友人達と蟹懐石屋さんに紹介されたらしいスナックで
、石原裕次郎を熱唱しているのを
、ずっと覚えていました
。あと、ダンスしたり
。
大好きな昴も歌っていました。「悲しい酒」を歌う元市長に、(演歌特有の悲恋の台詞の箇所で)「諦めんな〜♪」と、お茶目な父らしい得意の茶々も入れていました(笑)私は、父の「夜霧よ今夜も有難う」が好きでした。
次の日は、小樽でオルゴール館に寄った所も録画されており、私へのお土産となった、透明のグランドピアノのオルゴールはそこで選んでもらった様です。
何故か、今頃になって、そのビデオを出して来た母の心境を思うと、涙が出そうでした。
私に取っては、もう吹っ切れた気でおり、普段は忘れていますが、やはり、父に生きていて欲しかったと思わない時はありません。特に、辛い事が続いて、父をこの記事の引き合いに出した様で、申し訳ない気もします。
最近思うのは、津波の被害などで、ご家族や大切なお友達をなくされてしまった方は、これまでの思い出を分ち合う事もままならないんだな…と。
次に来る暖かい季節を、待ち望んでいる方々は多いでしょう。しかし、次の季節の到来を、決して嬉しく思うばかりとは限らないです。