大人の方向け曲のご紹介「ヒースの茂る荒れ地」

ドビュッシーの前奏曲集第2巻の「ヒースの茂る荒れ地」。
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スコットランド、泥炭の農耕に適さない土に広がる、ヒースの花。
ヘザー、または、日本ではエリカとも呼ばれます。

静けさの中に、ヒースの香りが匂わんばかり…、そよそよと風にざわめく音も聴こえてきそうです。肝心のヒースの香りを私は知らず、その香りがすると言われる、「ハイランドパーク12年」を嗅ぎます。
IMG_0064爽やかにほのかに甘い花の香りがします。

フランス人女性作曲家タイユフェールの「フランスの花々」に出てくる花達より、ハーブ臭はないものの、ハーブ系の香りも漂います。

ヘミングウェイの「移動祝祭日」の中で、パリの街が寒くなったから、しばらく山岳地帯の麓の山荘に夫婦で籠り、帰ってくるとすっかり街は冬に順応し、「良質な薪や石炭が売られ、石炭粉を卵型にこねたものを暖炉で燃やした」というくだりがあります。
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おそらく、ドビュッシーの晩年と時期が近い。
彼は、妻エンマの豪奢な暮らしぶりの為、生活費のために、「前奏曲集」をポピュラーな調子(親しまれるように)で編んだのだから、この曲集はよく売れたと言います。
薪を燃やしても煙突そのものが冷えていては、空気の通りも悪く、部屋中が煙に包まれたりする不便さを想像することも、また一興と言ったらその時代に悪いけれども、曲と仲良しになれるかもしれません。

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カフェの文化史

PICT03961[写真はアルル、ゴッホの「夜のカフェテラス」の舞台となったカフェ]

「サロン」が貴婦人によって催されたとするならば、ヨーロッパにおいて、殿方の憩いと社交、情報収集の格好の場は「カフェ」でした。
一杯のコーヒーだけで誰でも入ることの出来、何時間でもいることが出来るより民主的な公共施設です

1647年にヴェネチアで、ヨーロッパ最初のカフェが誕生して以来、オックスフォード、ロンドン、マルセイユ、ウイーン、フランクフルトと続き、独自のカフェ文化が発展していきました。

ウイーンでは、1683年(バッハの誕生年は1685年と近い!)に、トルコ兵によってコーヒーが持ち込まれました。
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にこだわり、量・濃さ・ミルクのまぜ具合によって細かく分類された豊富なメニュー、客としても従業員としても女性を閉め出す男性専科の伝統を持ち、
パリでは開かれたテラス席を設けたり、ブラッスリーなら年間を通じて牡蠣を置いていたりと特徴を持っています。
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モーツアルトや、ベートーヴェンもカフェにはよく通ったようですし、
シューベルトの生きたビーダーマイヤー時代には、食器だけでなく衣装掛けの金具に至るまですべて銀製品であつらえたカフェに、文人が集いました。
まさに、コーヒーよりも、集う客の面々が魅力ある商品といった具合でした
ウィーンのカフェでは、曲木細工の「トーネット」の椅子が定番として使用されていました。
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人々はその、人の眼と自由なきままさが上手く共存しているカフェという空間で、豊富に揃えられている各国の新聞を読んだり、チェスに耽ったり、ビリヤードをしたりしました。
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やはりサロンと同様、「文豪カフェ」「政治カフェ」「音楽家のお気に入りのカフェ」があり、現代のようなせわしなさの無い時代の気分を想像しているだけで、豊かな気持ちに満たされます

私もこれから、おうちカフェ(!?)でひと休み♪
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サロネーゼ、サロニエールの文化史

自宅(瀟洒で雰囲気のあるリビングなど)で、例えば紅茶教室などを開くマダムを、「サロネーゼ」と呼ぶと言います

サロンの歴史は古く、ヨーロッパで1600年代から始まり19世紀前半には、貴族社会のネットワークを結ぶ社交文化の拠点として、芸術家擁護のメセナ的役割も担っていたようです
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[サロンで演奏するショパン]
生活のための生産をする必要のない貴族の日常においてですから、あくまで「運営」ではなく「開催する」といった具合でした。

サロンといえば、女主人が切り盛りするのは現代の「サロネーゼ」も19世紀頃の「サロニエール」も共通しています。

その背景もまた、男性社会の秩序に阻まれて女性には許されなかった、知性・教養を発揮し生き生き出来る活躍の場を、自宅(貴族社会の場合は、邸宅)の延長上に発展させたという必然があったのかもしれません。
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[参考文献:福田公子著 「19世紀パリのサロン・コンサート」 北西社]
大変おもしろい本に出会ったので調べてみると、パリで当時、サロンを催した貴婦人の住居地区は、主にフォーブル・サン=ジェルマン、フォーブル=サントノーレ、ショセ=ダンタン(ギャラリー・ラファイエットの辺り)など。

フランツ・リストが活躍した、マリー・ダグー伯爵夫人のサロンも、ボーヌ通りの「セーヌ河が見渡せる、気持ちの良い場所」にあったと言います。

貴族の邸宅の使用人の数は40〜50人、古い時代には100〜200人も必要だったそうであるから、そのもてなしの規模や質も大変なものだったと予想されます。

サロンの内容は、文学・演劇サロンから、政治サロン、そして音楽サロンへと時代によって移っていきます。

ショパンの時代の、社交界の構成員は2,000〜3,000人と言われ、文化的教養を持つ彼らは、芸術家を見極める眼を持っており、音楽家と相互に良好な関係を築いていたようです。

…と、興味は尽きません

もう一冊、参考にしました。
ヴェロニカ・ベーチ著 早崎えりな/西谷頼子訳 「音楽サロン 秘められた女性文化史」音楽之友社

こちらの本では「夫がいないサロンは存在しない」という、鋭い見出しを発見し、なるほどサロン文化の秘められた背景をもみたような気がしました。

ブログでは、これらの本から得たことの一部しかご紹介出来ないですが
開かれたというよりは、ヨーロッパ貴族社会の排他的で洗練されたサロン文化を想像の中でタイムトリップしてみることは、ショパンやリスト、フォーレなどの作品、演奏、テンポ感をイメージするのに、ものすごく助けとなるように思います

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,音楽史 — 2:52 PM  Comments (0)

ドビュッシーとエンマ

1904年の6月9日。
火曜ではなくて、雨の降る木曜日。
ドビュッシーが、のちに妻となるエンマ・バルダック夫人に、速達を出して家に誘った日です(『ドビュッシー書簡集』より)

翌月には、ジャージー島に駆け落ちし、シテール島(キティラ島)になぞらえた「喜びの島」は、そのころ書かれています。
ドビュッシーの人生で、また一つの艶やかな盛り上がりをみせた時期だったことが伺われます
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6月といえば、ドビュッシーが前年の1903年に作曲した「版画」を、私は、昨年のちょうど今頃勉強していました。「雨の庭」を、弾きながら、先生とのレッスンを思い出しています。

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そわそわ♪

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甲府盆地を見下ろす、高台にあるCafeで、先日、また1つ歳をとったお祝いをして貰いました
Crepuscule、フランス語で「黄昏」を意味する名前を持つお店です。
夜景のまばゆい、現実から離れた空間で、料理もとても美味しく頂きました。ここ、有〜名な漫画家の方の旦那様がオーナーだそうです。

この日は、昼間は学校もあり、レポート提出が前から決まっていた日なので、しかと用意して授業に出たのですが、誕生日だと思うと朝からそわそわ、気分が高揚していました♪幾つになってもそうなのですから、困ったものです。
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西洋音楽史のレポートのテーマは、「音楽とナショナリズム」と「器楽は、声楽とどの様な点で異なっているか」でした。
前者は、わりと得意分野のテーマなので、すらすらす〜ら(笑)と、随分前から書き上げていたのですが、声楽と器楽の違いは、書けそうでいて、規定の文字数を埋めるのに苦労しました

でも、書いて良かった!関与度合いが高くなると、自然に授業も身に入ります。

特に、先生が持参される、オペラや器楽のDVDが、毎回、厳選されたものばかりで、感動的です。

はじめは、昔一度受けた科目をまた…と思っていたのですが、好きな科目はやはり何歳になっても好きなんだなと思いました。
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所で、幼稚園の頃、お誕生日会の手形付きメッセージカードに、幼稚園の先生から「あつこちゃん、こんなに寒い時に生まれたのね。」と書かれましたが、11月も半ばになると本当に寒いですね。
皆様どうぞ、お風邪にお気をつけてお過ごし下さい。

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手の疾患について

私のことですが、左手の甲の一部分(人差し指の下)に、ピリッとした痛みがあり、左手を休めて10日ほど経ちました。
今は、左手の練習を休んでいるわけですが、それまで1ヶ月間も、痛みがあるのを我慢して(というか黙って)練習してしまっているので、そうすぐには治らない様子です

いわゆる腱鞘炎かもしれません
これまで、発表会のプログラムのワープロ打ちで、慣れない頃に手が痛くなったことはあります
ピアノの練習で、痛くなったことはなかったので、よほど張り切って不必要な力を入れて「指の訓練」に時間をかけてしまったと、力は入れたそばから、すぐに抜くということの重要さをひしひしと思い知りました。

今は、右手だけ練習しています。温めて揉んだりしていますが、回復といった所まではいきません。
早く治りたい思うように左手も練習したいと、うずうず、じりじりとしています
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手は、まず、なにより休めることが、一番の治療とも聴きます。
手の専門の病院というのは、本当に少ないですね
都内まで行かなければならないと思うだけで、遠いなあと思ってしまいます

「持つ」「握る」「掴む」など、手の動作を伝える漢字は、400種類以上あると言います
その分だけ複雑で、整形外科に簡単にかかった位では、原因も対処法も根本的には…と、まだ足が向きません。[後記 7/20:  その後、病院に行って来た所、腱鞘炎の治療をして下さり、やはり診断をきちんと仰ぐ大事さを実感しました。使わない様に、テーピングもして頂きました]
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指の拡張の少ない、比較的かんたんな曲を選んで、弾いてみたりして思いましたが、どんな曲でも結局は、手や指に不自然な動きが出て来て、負担がかかっているということに気づきました。
一見、容易そうに見えても、決して手にとっては、楽な動きのものは少ないです。
曲を素敵にしようとすると、どうしても広げたり、多く掴んだり、速い動きのあるものを作曲してしまうのでしょうか

でも、手が痛いというのは、ピアノを弾く人にとって、「力が抜けきれていない」証拠のようで、格好悪いので、なかなか直視したり、公言出来ないことかもしれません。

シューマンは、器具を使って練習し、初期の頃に手を痛め、ピアニストを断念しましたね。
ベートーヴェンは、耳の病ですが、周りに隠すために、大変な葛藤があったと知られています。

治すのも、試練の時!
う〜ん、早く治したいです!!

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明野のひまわりが、早く見頃にならないかな〜♪

「イスファハーンのバラ」〜オリエンタリズムに魅せられた作曲家たち

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フォーレの歌曲「イスファハーンのバラ」。
高校の時、初めて聴いた時から、とても好きな曲です。

歌詞は「苔に覆われたイスファハーンのばらも、モスルのジャスミンも、オレンジの花も…(日本語訳)」と始まります。
けだるく、甘い蜜のような香りのする歌です。

異国情緒を漂わせた雰囲気…、他にも、ドビュッシーの「パゴダ」「グラナダの夕べ」「金色の魚」や、サン・サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」、ヴェルディのアリア「美しいサラセンの宮殿の庭で」など、ヨーロッパ人にとって、東洋への憧れは、数々の芸術家の題材となっています。

しかし、社会学者の上野千鶴子さんの「<おんな>の思想」を読んでいて、興味深い記述がありました。
「オリエンタリズム」は「東洋についての「西洋のまなざし」」であると前置きされ、要約すると、「オリエントの遠隔性、後進性、ものいわぬ無関心、無気力な従順さ」が、まさに「女性的」であるとしています。

「東洋は女性である。まなざされ、欲望される客体である」。「対するに、西洋は男性、まなざす側、欲望の主体である」。
歴史上の「声なき人々」の中に、東洋は属するようです。

そうした、オクシデント(西洋)の権力・支配関係が、オリエンタル(東洋)に魅せられ、独特の退廃的で官能的な作品の数々を生み出した根っこにある所以と理解しました。
          ※この場合、東洋とは、中近東も含まれます。
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音楽,音楽史 — 12:56 AM  Comments (0)

フォーレとドビュッシー、テンポの感覚の違い

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いつ頃から、馬車から自動車に代わったのか〜馬車もこんな風に停められていたのでしょうね。

ガブリエル・フォーレ 1845〜1924
クロード・アシル・ドビュッシー 1862〜1918

フランスの、17歳違いの二人の作曲家には、どうやら、テンポの感覚に、大きな違いがあるように思います。

フランスは、産業革命が遅れてやってきた国です。
自動車は、1870年代から、少しずつ改良を重ね、それでも、量産されるまでには、年月を待たなければならなかったようです。
1883年に、モーパッサンが書いた短編小説によれば、シャンゼリゼには、交通手段として、馬車がひしめき合っていたとのことですが、1890年に、フランスにおいて初めてガソリン自動車が誕生し、4年後には、自動車レースが行われています。

フォーレとドビュッシーが、それぞれ40歳だったのは、1885年と、1902年であるので、まさに、自動車の黎明期を跨いでいます。
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自動車速度が、100km/hを越えたのは、1899年というのですから、やはり、17年の違いといえど、ドビュッシーの身体にある速さの感覚は、フォーレとは異にするのではないかなと、勝手に推察しています。
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ある場所に行くと、0時に車が迎えに来て、その車のあった時代にタイムスリップする、不思議で素敵なフランス映画(ウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」を観ました。
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プジョーの旧式の車で、1920年代に行ってコクトーやピカソに逢ったかと思うと、馬車でロングドレスの人が迎えに来て、19世紀末の「ベル・エポック」の時代のマキシムで、ゴーギャンに逢う。

その映画で、当時の乗り物を見ていて、これまで、何かこう釈然としなかった、フォーレとドビュッシーの違いにまで発展し、拙いですが、テンポの感覚を考察してみました。

しかし、二人の作曲家が、紛れも無いベル・エポック(意:古き良き時代。19世紀末から1914年の第一次世界大戦勃発まで)の芸術家だというのは、作品から香りが立ちこめるかのようです。ただ、一緒くたには出来ない何かがあります。
PICT0167_2 モナコグランプリの最初の開催は1929年。

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音楽史 — 3:54 PM  Comments (0)

大作曲家小話♪過去記事集

ブログを書き始めて3年7ヶ月。書き貯めた過去の記事をご紹介していますnotes.gif
今回は、私の好きなテーマである音楽史。自分が生まれていない時代の出来事に、ロマンを感じます。

「子ども向け音楽史で、私の好きな本」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=25976

「徒労でも無かったドビュッシーの家探し(2)」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=6022

「ナポレオンとベートーヴェン」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=6988

「秘すれば花のフォーレとドビュッシー♬」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=25223

「徒労に終わったドビュッシーの家探し(1)」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=6004

「ショパンの命日」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=20999

「祖国を後にしたショパンの心情を想う」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=13797

「フォーレとドビュッシー〜艶やかな噂と意外な話〜」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=4523

「ドビュッシーとエンマ、そしてシュウシュウ」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=3576

「数少ない女性の作曲家〜タイユフェール」
https://www.perle-piano.net/wp/?p=8840

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音楽史 — 11:51 PM  Comments (0)

浜中康子先生のバロックダンス講座

東京から戻って来た翌日の午前中、「バロックダンス」の第一人者、浜中康子先生の「音楽家のためのバロックダンス」ワークショップに行って来ました。

地元郡山で開かれました。なんと無料icon_eek.gif

その訳は、前日に震災支援のための「つぶてソングの集いinふくしま」という合唱の行事でいらしていた様で、その絡みでこの講座がありました。有難い事ですねshine.gif
私は夏に、国立でのバロックダンス(記事はコチラ)に参加していたので、疲労のみえた土曜はshock.gif、少し迷いました。でも、凄く良かったんですsign03.gif

このDVDは持っていましたが、実際にやらないとわからないのが、ダンスというものicon_redface.gif

女優の真矢みきさんの声に似た浜中先生はhappy01.gif、桐朋のピアノ科を出ていらっしゃるので、ピアノでバッハのイギリス組曲などもお弾きになりながら説明されましたnotes.gif

ヘンデルの「水上の音楽」のCDに合わせて、ブーレをはじめに皆で踊りました。やはり、輪っかでですsmile.gif

基本的なステップを習い、その後は、メヌエット
メヌエットは難しいですね!2小節で一つのまとまりなので、6拍子の様に取るそうですflair.gif

2拍目と6拍目で、かかとをくるぶし辺りで、ちょんとするのは、国立で体験済みでしたので、躊躇せず出来ましたが、メヌエットは、つま先立ちが多くて疲れますsweat02.gif

ルイ14世(太陽王crown.gif)の頃の、雅な雰囲気を味わいつつも、音楽家やダンサーは、王侯貴族に酷使されながら庇護される立場にあったのだと想いを馳せたりconfident.gif、貴族の男性も、狩りやフェンシング、ダンスは教養の一部だったのですから、大変だっただろうななど思い巡らせました。

ダンスの際のおじぎの作法に失敗して、立ち直れなくなった貴族の回想録があるとかbook.gifsweat01.gif・・・面白いですね!

それにしても、「メヌエット ト長調」の作曲者が、バッハではなく、クリスティアン・ペッツォルトだったというのは、私知りませんでした。。知らない事を知るって、大事ですね。とほほ。

大変印象に残ったのは、最後に浜中先生が、「郡山の皆さんも、震災で大変な思いをなさったでしょう。まだまだ色々大変かと思いますが、これからもお身体を大切に頑張って下さいね!」と仰った響き。こういったお声かけがあるのは、いつになってもとても癒されると、感謝しました。

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