「ジッドの日記」に、パリジャンの姿をみた

先日blogでご紹介させて頂きました、花岡先生の御著書に、「ジッドの日記では…」というくだりが出てくるので、気になっていました!
私は、本は、その内容から別のご本に触れてあったりすると、興味がどんどん派生していって読んでしまうので、この度も例外ではありませんでした
。
けれど、一冊6千yen程+五巻から成るので
、図書館の横断検索をして県立図書館から郡山図書館受け取りにして借りています。
他人様の日記を読むのは、どんな心持ちかなと思っていたのですが、何しろノーベル文学賞作家
文章が上手く
、内容が深くしかも事実であるのでしょうから、同じ作者の「狭き門」を読んでいるよりよほど愉しそうです。
「今日は、プルーストと一時間ばかり話す。」とか、「ピエール・ルイスにシューマンとショパンを聴かす。」とか、名だたる作家達との頻繁な親交がみられてワクワクします。
ピアノの練習にも毎日の様に、3時間位費やしている様で、「ゴイェスカス」や「バルカローレ」など、それは真剣に練習に取り組んでいたご様子に、一人読みながら焦る私でした。。
作家と言っても、さすがパリジャン!
よ〜く、道を歩いていて誰か(芸術家仲間)に会って、おしゃべりに投じたり、「カフェ・ドゥ・マゴの前で友達につかまっちゃって
…」、とか出て来るのが羨ましいです。
とにかく、しょっちゅう人に会っています(笑)
かと思うと、思索に耽り…、孤独な精神生活と人との交わりのバランスがお見事!
一巻は21歳の日記で始まっていますが、変遷が辿れそうですね。
所で、(掲載されている訳ではないけれど、)晩年の肖像画が高村光太郎の晩年の写真と重なるのは、私だけでしょうか。



」と心でつぶやきニンマリしたりしています

」と目を輝かせていました。


」となりましたが、言葉の選び方や物事のとらえ方が、音楽学者の書いたものとは違っていて、現代において古典を捉えるには、こういうのは良いのではないか…と思いました。





が続いていて、気持ちがぱっとしません
。外部教室に行く時の車の中で、CDの曲(鴨の時に書いたThe summer knows)を、ジェシー・ノーマンと共に熱唱
。ストレス解消のつもりだったのが、何度か繰り返して歌う内に上達さえしていたことに気付き、
に取って没頭してしまいました。タイトルの言葉は、ギリシア語での時の概念で、
では、様々な哲学者
の思想をご自身でまとめられたテキストが配布される
のですが、これまた貴重なものとなっています。(といっても難しくて歯が立たないんですけどね〜…
)授業の思い出で、こんな事がありました。クラスで一度、席の列順にテキストを音読させられていた時



