原発の講演会

昨日と今日、また福島では大きな余震がありました。
もう本当に今日はうなだれています。

昨夜は、京都で原発の講演会に行っており、こうしたものは福島で行われるものでは、はっきりとしたことは言わないので、行って来て良かったです。御用学者のではなく、信頼性のある知識が欲しいですよね。

内容については、特にここでは触れませんが、レッスンに通われる際について少し書きます。

この格好は、郡山市で当てはまるかはわかりませんが、装備した服装です。私は準備しました。
髪の毛って大事らしいですよ。

お車でいらっしゃれる方は、できるだけお車でいらして下さいね。徒歩で来られる生徒さんは、マスク、帽子、手袋、ビニール製のコートなど着用になり、玄関先に置いておく所を設けますので、雨の日の傘などもよろしくお願いいたします。
お車の方も、これに準ずる装備で出来るだけそうすることにしませんか。

…、と強制している様で申し訳ございませんが、ここは住居でもあり、只今、換気を思いっきり出来るわけではないことや、沢山の生徒さんが出入りするという事情を、どうぞお察し下さい。

また、メールアドレスを存じ上げていない方が数名いらっしゃいますので、ご連絡のつきやすいアドレスをお教え下さい。
災害期間の連絡方法は、双方向で、連絡を取り合えますようご協力お願いいたします。

万が一、レッスン中に余震が来た場合、様子をみての判断となりますが、
1,教室(移動する場合、余裕があれば行き先を張り紙をします)
2、荒池公園

通り道は、家の前の道路か、一本東側の太い道路です。

震度5以上があった場合のその日のレッスンは中止です。

桜の色は幸せ色

京都では、只今、桜がとても綺麗に咲いています!

本当に思いがけなく桜まで観れて、昨年の一年間分の休み以上の長い休日を味わっています。
不安は常にありますが、長い一年の中でほんの一瞬しか咲かない桜を観る時位は、幸せな色に包まれています。
(こうした、日がな一日ぼうっとした休日を、心のどこかで望んでいたのが、こうした形で現実化……。)

と、いう訳で、今はとうとう鴨川沿いの土手に座り込みました。桜の事を書く事をどうかお許し下さい。

昨日観た、青空に映える醍醐寺の圧巻の大きな枝垂れ桜も、円山公園の枝垂れの壮麗なライトアップも、白川南通りの、淡い黄緑の柳も、UP手段がありませ
んがそれは見事で、つい感嘆の声が出てしまう程です。

(後日アップしました。円山公園の枝垂れは次のブログにアップ))

そんな、刹那の幸せの中、また、何人かの生徒さんの親御さんと、連絡を取り、お互いに、喜び合いました。
どんな不安の中にも、こうして、気の合う方々が教室に集まって下さった事は、本当に嬉しいことです。
お電話で声を聞かせて下さったお母様や、メールで、親子揃ってレッスン再開を喜んで下さったとメッセージ下さったお母様の言葉にも、ものすごく元気を頂きま
した。

来年は、放射能が減少していたら、思いっきり、教室みんなでパッとお花見をしましょう!!
春まで待たずとも、屋内でも、パッと楽しい集まりでもしたいですね!

平安の御代にも、戦国時代にも、つねに不安はつきまとっていた筈…、そんな時でも、桜は、当時の人々の心を潤していたのでしょう。

福島の桜も、何事もなく静かに咲き誇る日がすぐそこですね。

震災 — 4:40 PM  Comments (4)

涙の都をどり

避難のこと・・・3月17日に那須塩原から新幹線に乗車し、東京での一泊を経て、京都の高台寺のほど近くの旅館に、初めはお客として、その後、宿のご主人のご厚情に甘え、居候のような形で置かせて頂いているのです。

郡山に残っていた方のことを考えると、なかなかこのことは書きにくかったです。

何度か、帰ろうかと思いましたが、どうしても帰れなかった。。

朝に夕に聞こえて来る、お寺の鐘の音。
気を遣わせない様に思いやって下さる宿の方々。この暮らしやすさと、原発事故発生後の、窓を締め切って息を凝らして過ごした一週間近くと、比較してもしょうがなく、言葉がありません。

歌舞練場の天井桟敷で、昨日から始まったばかりの「都をどり」の、四季の移り変わりを表現した息を飲む美しい舞いを観ながら、昼間にお電話を下さった、郡山を離れることになさった保護者の方からの涙の電話を思い、涙が止まらなくなってしまいました。

お別れに際して「ほんとに、原発のことがなかったら。」と、声を詰まらせて下さったお母様。おっとりとして、いつもきちんとしていらした、私の大好きなそのお母様は、偶然にも京都のご出身なのです。そのときお聞きしたお言葉や貴重な涙を流してくださったことを忘れたくないので、この日にこの事を記して置こうと思った次第です。

「これから、でしたのに、、」と仰って下さったように、半年の短い間でしたが、可愛いお嬢さん達のことも、優しいお母様のことも忘れません。

この仕事を通して、このような良い方と出会えて本当によかったと思っています。

こちらこそ、今までありがとうございました。あのお写真は、あのままあそこに飾らせて頂きますね。

まことに、原発から放たれる放射能は、離れなくともいい家族を引き離し、別れなくとも良い人間関係を離させる、魔物なりけり。

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実に3週間ぶりでピアノを弾きました

地震から3週間ぶりで、ピアノを弾きました。

ピアノの練習が出来る所をレンタルしたのですが、やっとそういう気持ちになった訳です。
手持ちの楽譜も無かったし、指の筋力は落ちていたけれど、音楽にはちっとも支障が出なかったことが、なにより感動でした。
暗譜はやはり、初めはかなりおぼつかない箇所がありましたが、3回弾く頃には、大分取り戻しました。

弾きながら、いつもの様に色々なことを考えました。

弾き終えて外に出たとき、表情にシャキッと生気を取り戻したのをみて、存在の意義を確認した気にすらなりました。

ご祈祷

京大の側の、由緒正しき神社で、ご祈祷して来ました。

私は、特に神がかった者ではないのですが、昨夜、ふと話の中でここをお聞きし、
何か今日はそこに、原発が早く収まる様に、ご祈願することとなったのです。

まさに…苦しい時の神頼み。
神主さんは、「被災地の方が、この震災の事でお参りに来た方は初めて」と仰って、それはそれは時間をかけて丁寧に準備下さり、特別なご祈祷をなさいました。私が、ここぞとばかりに(!)色々ご祈願したことも、お祈りして下さいました。

立派な朱塗りの神殿に入ると、4つの神様は、茨城や千葉、(群馬も)の神様で、この度、被災された地でもありました。

関連する多岐に渡るお願いを書いたため、お榊(おさかき)は、何と4束。

生徒さんの分や、家族の分もありましたが、最後の一束を、なんと「東北を代表して、被災者の方に」と仰って、供えさせて頂きました。

ご祈祷は、確か、厄年の時にしかした事がありませんが、この様な長い感動的なご祈祷は初めてで、感激しました。
祈って頂いている間、内容や、神主さんの良く通る声を聞きながら、多くの失われた命を思い、この大きな災害から、早く沢山の方が立ち直れるよう、神妙に願いました。
そして、TVで「生き地獄だ」と泣いていた酪農家や農家の方にも、笑顔が戻る日が来ますように。

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震災 — 11:11 PM  Comments (5)

復興を、急がない(^-^)

このタイトルは、自分に言い聞かせていますhappy01.gif.

震災のあと、閉まっていた飲食店などが、次々に始まると、「ん、焦らなきゃいけないの?!」と、少々せかされる気持ちにもなりますが、ピアノの指導は、何もこの様な時に、急ぐものでもないというのが、震災当初からの私の考えです。

音楽は、非常に精神的な糧となるすばらしいものです。

けれども、どんな時でも必ず必要というものではないし、このような時、「奏で」なくとも、心にあれば良いと思うんです。

「衣食足りて礼節を知る」この引用はもしかして適切ではないかも知れませんが、(この場合「礼節」では無いですね)安心した日常が、こんなにも尊いものだったという事は、この度、良く思い知らされました。

けれども、こんな時こそ、音楽で培っためげない忍耐力や、どんな状況でもそれをプラスに転じる力をもって過ごしたいですね。

これまで通りの日常では決して味わえない大切なこと、この機会にゆっくり考えてみるのも良いものです。

今まだレッスンはお休みしている訳ですが、そうかといって、生徒さんたちの事もピアノ教室のことも、決して忘れているわけではないことを、書いておきたいと思ったのでした

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震災 — 8:22 PM  Comments (2)

それぞれの、そのとき…

地震の起きた時、それぞれの場所で、一人ひとりの方が、様々にあの震災を体験されていたことでしょう…

その時私は、幼稚園児さん兄妹二人のレッスン中でした。
ピアノの足を確認しながら、しばらくピアノの下に隠れて頂いた後、暖かく着込ませ外ばきに変えて、様子を見ながら玄関で一緒に待機し、その後、外の様子を見ながら、クッション持って荒池公園のなにもない真ん中に避難していました。もう一度行ったときは親御さんに行き場所を張り紙をしていきました。
生徒さんは、取り乱すこと無く、無事16時前にお母様の元にお帰し出来た時は安堵しました。電話は一切つながらなくなっていました。
それまで、外では、向かいの家の塀や門の倒壊、自分の所の駐車場のコンクリートは、ボコボコに地割れし、異様な吹雪で、天井の様子が安全な玄関で待機してもらうものの、なかなか外に出るのがよいとも思えない時間を過ごしました。

なにより生徒さんの安全が最優先ですので、冷静に一刻一刻を間違いのない判断をしなければ、と、顔は笑顔などみせつつも、そのごのその子たちの気持ちの後遺症にもならないように必死でした。

レッスン室は、一番無事だった場所で、建てつけの本棚からは、奇跡的にあまり落ちずに、ピアノは一台は前方に動きましたが、大事には至りませんでした。(他の部屋等のひどさに至っては、改めて)

なによりも、その時にレッスン室にいた生徒さん達が、被災後、避難なさった後も無事元気にしていると、お母さまからのちに伺い、ホッとしています。

その後、レッスンがしばらくお休みの連絡で生徒さん達全員が、無事であることを、メールや、電話で確認しながら、無事を喜び合いそれぞれの状況など話し合えたのは、電話がつながるようになったり、一段落してからのことでした。

震災 — 9:28 PM  Comments (2)

地震から12日…各地のピアノの先生方、本当に有難うございました。

3月11日の地震では、各地で甚大な被害となり、多くの命が失われ、本当に言葉にならない悲しみと落胆の思いばかりです。
亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げますと共に、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

郡山市も、被災地だったので、私も、体育館への避難から始まり、色々ありましたが、そんな時、全国各地のピアノの先生方、恩師、友達、、、本当にたくさんの方々が、力強い励ましのメッセージや、実際の貴重な情報、毎日助けてくださったことは、本当に忘れません。心の底から感謝申し上げます。

特にここでは、最初はこのブログをしていたことでお知り合いになれた、各地のピアノの先生方に、御礼を申し上げたいです。

地震の直後、近所でガス漏れがあったために、夕方から避難勧告が出されましたが、一分刻みくらいの余震で、体育館が揺れて、、本当にテレビも遠くて何も聞こえず、ラジオは同じことばかり繰り返していて、余震の度にリュックを背負って明かした朝、まっさきに心配してくださっていたピアノの先生たちのおかげで、どれほどの勇気と元気をいただいたかははかり知れません。

元気付けて下さるためにブログ村でのランキングが落ちないようにみなさんに呼び掛けてくださった先生や、コメント欄にメッセージを残してくださるように呼び掛けてくださった先生、ブログにお書きくださった先生方、そして県外に避難している今にいたるまでずっと、声をかけ続けて下さった先生方、その思いやりの深さ、共感力の凄さには、人として心から信頼と親愛の念を寄せずにはいられません。

大変遅くなってしまいましたが、避難先で、インターネットカフェに入り、やっとブログ上でもお礼の気持ちを述べることができました。
勝手のわからないパソコンで入力しにくく思うように書けないのが大変残念ではありますが、ほんとうに有難うございました!

震災 — 8:54 PM

しばらくレッスンはお休みです(ご連絡)

この度の地震では、生徒さんもご父兄様も、落ち着かれぬ日々をお過ごしと思います。

この様な事態で、しばらくレッスンはお休みにいたします。

この事をお伝えする別の文章を用意している途中、また原発の水素爆発。

外には出ずに、無事にまた笑顔で会える日まで、がんばっていきましょう。

震災 — 11:43 AM  Comments (9)

明日はレッスンは中止です

地震による被害と、まだまだ余震も心配です。

生徒さんやご父兄様、みなさんご無事で避難されていらっしゃると思います。

明日は、レッスンは中止と致します。

震災 — 7:50 PM  Comments (11)