「マダム・バタフライ」
先週、大学生がレッスンで、「蝶々夫人〜ある晴れた日に」の伴奏を持って来ました
。
先輩の卒演の伴奏をするらしいです。
オペラの伴奏は、心理描写があって
得意分野なので、思わず膝を乗り出しレッスンしました
。
プッチーニ作曲、長崎が舞台のオペラ「蝶々夫人」。これまでは、日本の若い女性の浅はかで哀れな姿といったイメージを持ってしまい、タイトルロールの蝶々さんを、ちょっぴり軽視していた所がありました
。
けれども、アメリカに帰ったピンカートンを3年も待って、周りが皆気付いているのに、一人信じて、「ある晴れた日に
」を歌っている蝶々さんのアリアを聴いて、胸を打たれました。
ユニゾンで奏でられるレガートの伴奏は、儚い夢を思わせ、それまでに執拗に促す、リズミカルな場面は、希望を打ち砕く現実を表していると言います。
得てして、希望が強すぎると、現実を曇らせます
。ですが、蝶々さんは、生きる望みをピンカートンに託していたのです。
こんな風にブログでは書いていても、実際のレッスンでは、コミカルタッチで「あらら、後半また調子が変わるね!蝶々さんも、もう気がふれて来ているね〜
!大変
。」と茶化してみるも
、内心、蝶々さんの身を案じ、ついハラハラしていました。
「夢と現実の対立、徐々に孤独感と喪失感を高めていく事が、このオペラを理解する鍵
」との、指揮者のシノーポリの説があります。
蝶々さんは、裕福な生まれだったけれど、父親は帝から切腹を命じられ、幼い頃に亡くしており、芸者さんとなりますが、15歳で、ピンカートン
との結婚(実際は、短期契約の当時の風潮)によりキリスト教に改宗。親戚からも見放され、ついにはラストで、子供までピンカートンの妻に取り上げられる(悪気では無く、子供の将来の保障の為)。これでは、「喪失の連続」です。そして、もう歌って舞ってみなを楽しませる仕事に戻る位なら…。
その落胆の果ての結末だったという事を、改めて、レッスンで取り上げた故に、再認識しました
。
いずれにせよ、アイデンティティーの喪失の問題が絡んでいるらしく、開港後(1868年)
40年経た当時の日本の社会風刺といった面もあるのでしょう。




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