寮生活の思ひ出
私は、武蔵野音大の出身なのですが、2年までは入間市の隣の仏子(ぶし)という所に校舎があり、3〜4年は江古田(練馬区)の校舎に移りました。
仏子に居た時は、寮に入っていました。(江古田では一人暮らし。)
学食の窓から、キツネをみたことすらあるような山の上です♪
この武蔵野ハイムという10階建てが2錬ある寮では、当時(今では改装されたみたいで、全〜然事情が違う様ですが)4人部屋で、押し入れの扉を取って変わりにカーテンを吊るしたような2段ベッドが向かい合い、その奥に、机が2つずつ壁に向かってついている細長いお部屋でした。
各部屋は、あえて色んな楽器の人がごちゃ混ぜに編成されており、私が1年の時の部屋は、ピアノ2名、フルート1名、ヴァイオリン1名で、同じ学年は2名ずつでした。
同じ部屋同士も寮の友達も、共同体ですから、家族みたいな感じで仲良しで、いろんな思い出があります。
この寮生活、もの凄く不便でもあり、そこがまた、美しい思い出を彩ってくれるのです。
大きなお風呂は、あらかじめ、洗い場にシャンプーなどを置きに行って「次、空いてますか?」と、順番を取ったり、
部屋に電源が無いので、地下のドライヤー室は、朝は一斉に混んでいたり、携帯の時代ではなかったので、何台かの公衆電話に、毎晩、圧巻の長蛇の列が並んでいたり、「何号室誰々さん」と、外部から電話がかかって来ているのを放送で呼ばれるのが、ちょっとしたステイタスだったり(笑)。
ガチガチの規則を破るのにも、みんなそれぞれ苦労(?)しました!
確か21時台に「点呼」があり、一人ずつ名前を呼びにくる先生がいるのですが、これに関するどっきりなエピソードもありました。
夜に門限より少し遅れそうな時は、「演奏会外出延長届け」を出して、少しですが延ばしたり・・・う〜ん、書きたいこと一杯あって、面白ネタほど書きづらいので、困ってしまいます。
今日、あまりにも臭い「羊のチーズ」を食べたら、「部屋コン」で、スタミナ太郎にジンギスカンを食べに行き、寮の部屋中が匂った日のことを思い出してしまいました。
今回は、「不便編」でしたが、またぼちぼち書いていきます
あ、だんご三兄弟の「あゆみおねえさん」と、同じ学年なんです☆
なつかしい!私も寮でした。点呼、演奏会届け、電話のよばれるのがステイタス。。。
おんなじで、うれしかったです!
コメントありがとうございました!!
ご返信が遅くなりすみません。
今村先生も寮だったのですか!
以前、くにたち音大の友達に、「国音は、寮がないから、一人暮らししたの。」とか聞いて、そうなんだと思っていました(笑)
あれは、聞き間違いだったのかな。。
演奏会外延は、確か、演奏会名を記入された様な気がします。
寮って、楽しいですよね♪♪
初コメントです。
私も武蔵野音大卒なので、懐かしく読ませて頂きました。私はハイムではなく、2時間近くかけて通学していましたが、昨年入間校舎で行われた創立80年??式典に行ってきました。卒業以来だったので懐かしかったです。(多分ワタシの方が年上です)
永井祐子先生
コメントをありがとうございました!!
わあ〜、同じ大学ですか♪お話させて頂けて嬉しいです。
2時間近くも通っていらっしゃったのですね!それは、大変。。
でも、あの頃は、何でも楽しく出来てしまう頃だったので、通学の方達を見ていると、苦を感じさせない表情だったのは覚えています。。
私も、一年半で寮を出て、残りを通ったのですが、かなりギリギリになって慌てて、「飯能」まで行く速い列車を使ってしまった事がありました☆
式典、盛大でしたでしょうね!
先生のblog、楽しそうですね♪後ほど、ゆっくり拝見させて頂きま〜す!