2012年7月6日
解体工事は、ほぼ終了!
私の家は、5月25日頃から解体工事をしていましたが、ようやく建物の姿はなくなりました。
この間、実は、数日と空けず、様子をみに行っていました。
時には、小1時間、解体の様子を車の中から見ている日も…。
過程を写真に撮っていたので、ブログ記事にしようかと思いつつも、あまりにも痛々しくて、やめました。
ブルドーザー(?)で、壊した部分を掴んで下ろしていく事を、水をかけながら繰り返していました。
「喜びや悲しみ、数々のドラマを見て来た家。これまでを清算して、新しい生活を…と、お家が身を持って教えてくれているのかも」
と言う友人の、心ある言葉が思い出されます。
確かに、引っ越しを機に、色々な事が変化したかの様にみえました。
表面上は、解体中の家の事は意識に上らなかった為、なんの辛さも感じず、むしろ新しい生活は、快適で幸せな毎日だった様に思います。
しかし、どこか感覚を麻痺させなければならない程に、もとの家の解体は、受け入れ難い出来事だったのでしょう。
私は、駅前にある元々の家を、2歳半の時に解体し、ビルに建て替える時も見ていて「ぶつけた、ぶつけた、痛い、痛い」と言っていたそうですが、何かを「壊す」状態を見るというのは、あまり良く無い影響があるなと常々感じます。
解体工事を見る度に、言葉にならない思いを持ちましたが、綺麗に更地にした状態を見るのも、そう遠くないでしょう。
その時こそ、すっきりする時だと思います。
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Filed under: 日々のこと — 1:38 AM
敦子先生
私の会社の同僚に父親が転勤族のため、住居が転々と移り変わり、「実家」と言われても実感が涌かないという人がいます。
そう聞かされたときは、なんだか寂しい話しだなぁって感じたものです。
そして、先生のブログを読ませて頂いた時も、また違った意味で寂しさを感じされられました。
愛着が無い寂しさと、愛着のある寂しさ・・・。
人生って色んな「寂しさ」を味わわせてくれるものですね。
菜野さん、
コメント有難うございます!
同僚さんの様に、うちも転勤族で、実際あそこに住んだのは、中1以降でした。その前に、小4の時に、父を単身赴任にして、祖母の看病のためにに、一年間住んだ事もあります。祖父母の住居も本来別の場所だったので、何故か愛着の持てないまま過ごしました。
しかし、住めば慣れて来るもので、初めて住んだ小4の日は、奥の部屋に水牛の角など骨董品置き場になっていて泣きましたが、次第に住みやすくなりました。
多分、菜野さんが、ご実家に帰られた時に感じる懐かしさを、私も池ノ台に感じていると思います。
同僚さんのエピソードから、私も途中からでも、一箇所に落ち着く場所があった事に感謝する気持ちになりました。
愛着が持てるというのは、幸せなことなのかもしれません。