恩人〜「頑張りぃや!」の力強いお声〜

今日ばかりは、忘れ得ぬ恩人の方々に、謝辞を述べさせて頂きたいです。
京都、東山の「祇園佐の」旅館様。
あの頃、一ヶ月近くお世話になり、本当に良くして戴きました。


[オーナーと、Mariさんと、震災太りを隠したい私。セピア色にしました。(写っていらっしゃいませんが、女将さんと支配人や皆様優しくして下さいました。)]

報道もされない程の高い放射線量だった週、17日に那須からの新幹線で逃れ、東京泊を経て、京都に向かいました。最初のお宿にご紹介頂いたご縁で、24日間もお世話になったのです。
八坂神社まで2分、ねねの道まで歩いて30秒。以前から大好きだった東山。
2日目に、家が気になって戻ろうとする家族に「いつまでもいてくれたらええ。」と仰って下さった旅館のご主人。その朝、私は、ねねの道をとぼとぼ歩いている最中、恩師からの大変温かなメールを受け取り、「しばらく、こちらへ…」と仰って下さった、そのお気持ちに気が湧き立ち、涙していました。が、京都に来るまでに疲弊していた家族が、東日本へ戻る気力があるか心配でした。

信じられない嬉しいお言葉でした。

教室は避難者も多く、状況を様子を見ながら、保護者様達とご連絡を取り合い、結局ひと月、お月謝をストップして休みに致しました。

私は「あと一週間、あと3日…」とぎりぎりまで戻ろうとしませんでした。ことの大きさに、どうしても戻る足が向かなかったのです。健康を守りたい思いは並々ならぬものがありました。

折角なら、桜を観てから帰り〜や!最後に咲く平安神宮の頃まで♪」と、ニコっと笑顔でいつも冗談ばかりで笑わして下さった。厨房で、いつも今後の心配をして下さった。

朝夕、高台寺の鐘を聴きながら、TVでの報道に目が離せなかったあの頃。この様な贅沢な避難をさせて頂き、一生の恩人です。

放射能で頭が一杯だったその頃、大震災の為に実家の地盤が大変な事になっていたという事を知ったのは、ずっと後の事。

「また、戻ってからも、あかんかったら、戻って来いや!
その後も、お電話での力強い「頑張りぃや!!」の声に、何度励まされたことかわかりません。

そのおかげで、一年後の今も、こうして教室を続ける事が出来ています。

こうした希有なご親切に預かれた幸せは、これからの苦難にも負けない勇気を持つ、原動力の一つです。懐の深さに感謝してもしきれません。本当に有難うございました。

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Filed under: 日々のこと — 12:14 AM
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