2011年10月20日
キューリー夫人の大学
先日、ショパンの本をめくっていたら、或る頁に、キューリー夫人の写真が現れました。
物理学と放射線の学者であるキューリー夫人(2度もノーベル賞を受けた)は、ワルシャワ出身だったのですね!
ショパンが没して、約20年後に生誕しています。
パリ第6大学(夫妻が学び、教鞭を取った)は、彼女と、夫のピエールの名にちなんで、ピエール・マリ・キュリー大学と名付けられています。
当時は、この様な感じだったのかもしれませんが、
今では、近代的な凄い建物が、アラブ世界研究所の裏にあります。
私が訪れたときは、随分と賢そうな学生さんに、冷徹なまでの知に溢れた表情を見て取り、頷けるものがありました。
ピエール・キュリーは、ラジウムの発見と共に、放射線の研究も行っており、荷馬車に跳ねられてなくなった時は、相当な被曝をしていたらしいです。
福島県では、ようやく問診票が届き(3/11〜7/11の行動)、3月から一ヶ月居なかった私は、優良かしらん…と、些か面倒な気持ちで、書き込みを伸ばし伸ばししています。
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