子ども時代のピアノの先生(中編)
(前編に続いて、小学2、3年の時にお習いしたピアノの先生の思い出話です
)
先生には、私より1歳上のお嬢さんがいて、発表会では山田耕筰の赤とんぼなどを歌っていました。
電車で3つ目のところにある私立小学校に通っていらして
、学校から帰宅すると、玄関から入ってすぐのLDKではレッスン中なので、いつも、階段を昇ってまっすぐ2階へいく後ろ姿が、少し寂しそうにも見えました。
ある日、先生が、「塩ラーメン」を作ったと言って、お嬢さんにダイニングで急いで食べさせていたところに、遭遇しました![]()
私は、『せんせいも、「しおラーメン」をたべるのかぁ
』と思ったので、なんだかずっと印象に残っています。
その頃からか、ピアノの先生ってお家で出来て、その「在宅ビジネス性」にも惹かれたのか、私は、『けっこんして、おうちでピアノをおしえる』図
を思い描き始めました。
しかも、『じゃあ、さんすうのべんきょうなんて
、あまりかんけいないかもな![]()
』と、しばらくは、そう思い込んでしまっていました(![]()
)
(つづく)





!」なんて、意味のない得意げ発言も、口をついて出る始末
。
♪
、父が出張の時に、蓋の裏の紙に、福島県の、中通り・浜通り・会津地方の方言と翻訳が印刷されている「方言弁当」
。
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、福島県の自然や、そこで暮らす人々の雰囲気を少しでも知って頂けたらいいなあ、そして訪れる方々が増えます事を、願わずにはいられません
。


