音楽史の旅

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年表

古典派について

バッハの死後(1750年)、バロック音楽の時代は終わりを告げる。

バロック音楽が、多声部音楽であるのに対し、次に出て来る古典派の音楽は、
機能和声( I IV V I )の支配する音楽である。メロディーと伴奏のホモフォ二ーが主となる。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンによって、ソナタ形式が確立された。
オーストリアのウイーンが、その頃の音楽の中心的な舞台となるが、それは、マリア=テレジア女帝の支配するハプスブルグ家の、巨大な権力とも深く関係している。

1789年にフランス革命によって、ルイ16世とマリー=アントワネット(マリア=テレジアの娘で、オーストリアからフランスへ政略結婚)が処刑され、王政は倒れる。
その後、英雄ナポレオンの時代が訪れる。ベートーヴェンは、まさにこの自由主義が開花した時代に生き、才能を開花させた。

それまで音楽は、教会か王侯貴族のものであったが(モーツアルトの頃まで)、以後は、市民が自分でコンサートに足を運べる時代となった。

古典派の次に訪れるロマン派の感情表現の方向性は、まさにこの頃から芽が出ているのである。ベートーヴェンの後期のものは、モーツアルトの、優雅な貴族に好まれる質のものとは全く別の、自分の内面の発露がはっきりみられる。作曲家の性質や環境が、作品と切り離せないものであるということは、いつの時代をみても明らかである。

クラヴィーアに代わって、クリストフォリ(伊)によって発明(1698年)されたフォルテピアノの制作技術が、この時期ピークを迎えた。*あらゆる楽器の制作技術の全盛期(ヴァイオリンのストラディバリウスなど) これは作曲技法の幅を広げた最も重要な出来事である。ベートーヴェンは、色々なピアノを寄贈された。こうした中で、多様な表現が生み出される。

古典派の特徴としては、全体の統一感、均衡(バランス)、確固とした形式(ソナタ形式)、明確な調性感、機能和声などが挙げられるだろう。大変にドイツ的で、かっちりとしている。この頃、交響曲が確立される。

ロマン派の音楽

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ピアノの黄金時代の到来である。革命後の自由さからロマン派の様式が生まれる。19世紀に入り、人々は内に秘めていた深い感情を表すようになる。節度や調和、客観性を重視した古典派の音楽への反動で、音楽の中に、個性や独創性が強調される。個性の時代。

豊かな感情とあふれるばかりの解放感、そして歓喜や憂うつを表している。音楽が伝えたり、呼び覚ましたりする感情の広さは限りない。
ショパンの心情の発露とピアニスティックな魅力に溢れた曲、シューマンの詩情、ブラームスの重厚なロマンチシズム、リストのヴィルトゥオーゾとしての華麗なピアニズム…。

貴族の衰退とともに市民は自由を手にし始めた。工業の発達にともない印刷も容易になって来た。ブルジョワ家庭にも、ピアノが普及し、家庭の中でも楽しまれる様になる。
新しいタイプの様式が、次々と生み出されていく。
古典にもみられた、ドイツ舞曲、ワルツ、レントラー、エコセ―ズに加えて、無言歌、スケルツォ、ノクターン、プレリュード、バラード、アンプロンプチュ、ファンタジー、インテルメッツォ、ロマンス、カプリッチョ、ラプソディー…etc。

この時期は、大きな音楽ホールが次々と建設され、ホールの隅々まで行き渡る大きな音が要求される様になって来る。ピアノが、ほぼ現在の機能を持つほど改良され、「人の声で歌える様な、レガートの長い旋律」の奏法が可能になる。(ショパンの曲は、その代表格。)

主観的な表現

ロマン派は、人々の感情を、古典派の様なかっちりした枠組みから外して、溢れる様に表現した時代である。

作曲上で用いられた手法は、減7和音、増6和音、属9和音、3全音、不協和音の使用、又、ロマン派後期のなると、旋律線や和声の半音階的進行、全音音階、5音音階、異国の旋法などが多用され、様々なニュアンスを出している。

装飾音やトリルの奏法も、古典派までの時代に比べ、大きく変化をみせる。

国民楽派…自国の民謡やリズムを曲の中に大きく取り入れ始めた。東ヨーロッパは、目覚めたばかり。
チェコのドボルザークとスメタナ、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウス、ロシアのチャイコフスキー、ムソルグスキー、ボロディンなど。

民族的な旋律

人間の表現にはいろいろな形のリズムがある。
様々な国の、独特なリズムの特徴を知ろう!

* 参考文献  メニューヒン著「人間と音楽」、中村菊子著「ピアノのための絵で読む音楽史」