大きな台風でしたが、台風のおかげというか、分厚い本を読む気が出ました。
ロシアの名教授、故ネイガウスのピアノ演奏芸術の名著です。
15年程前に買ったまま、読んでいなかったのに、嵐が通過している間に一気に読破しました。
書棚から手に取ったワケ。「このまま、今弾こうとしている曲、暗譜終わらないままで良いの?」「最近、本だって滅多に読みきれていない」焦りから、解決策、突破口を探してのことでした。
ピアノの先生というものは、大抵において、集まれば、生徒さんに使っている良い教材の話はしても、「今弾いている曲」の話題が上ることはあまりありません。
この古い、素晴らしい名著においてさえ、ピアノを教えるのがいかに骨の折れることで、その中で、自分の演奏を進化させ続けることの苦悩、についても述べられているのは驚きでした。
弾き続ける先生と、教えるのに専念する先生の話もあり、故ネイガウス(ブーニンのお祖父様でもあります)はそこで、たとえ子どものための曲集でも良いから、演奏家としての顔も持つことの有用性を語っています。
私も、そこは強く共感します。自分が弾かないで、どうやって生徒の演奏の手助け(真に迫る助言)ができるものかと。
何が問題なのかというと、レッスンの日常と、自分の練習は、まるっきり違う時間が流れていることです。
朝から、何もする必要も無い休日、レッスンのための準備をしない休日、この時は、何ものにも代え難い、演奏の研究のできる日。それこそが、巡り巡っていずれ生徒さんにも、大きなものを与えるプレゼンスであり得るだろうと思った休日でした。
この本の一番良かった所は、「まず心に音楽があってこそ、の演奏だ」と述べらている箇所です。
技術の習得より先に、まず、配慮ある「音」の研究の章に頁が割かれていること、様々な段階の学習者とのレッスンの様子などもありました。
「音の芸術」である音楽。
いつまでも追求していきたいものです。