新プロフィール〜わたしのピアノ道②

憧れの音大へ

大学入学を果たした私は、まさにピアノの恩師とも言える方に出会います。

その方も、小学校の時に私に音楽の楽しさを教えてくれた、同じ東京藝大卒の方だったのです。

大学2年のグルコン(グループコンサート)江古田校舎にて

「先生のレッスンの話をしている時が、一番幸せそうだ」

フランスピアニズムを日本に紹介された、安川加壽子先生から、ご幼少より学ばれた先生でした。私は、ピアノを本当に伸ばしてくださる師に出会い、水を得た魚のように、大学時代を過ごしました。これまでやってきたピアノとは全然違う。私が欲しいものは、全てその先生の教育の中にありました。先生とのレッスンのたびに、思い切りピアノを演奏できる幸せを噛み締めていました。帰省するたびに、楽しそうにレッスンの様子を話す私に「先生のレッスンの話をしているときが、一番幸せそうだ」と両親は言っていました。

 

卒業後、先生の教えをふるさと郡山の子供たちに伝えたいと、帰郷し、ピアノを教え始めます。

再度転機が訪れたのは40歳になる頃、現在の夫と出会い、郡山のピアノ教室を一旦閉め、父と同じように転勤族だった夫について甲府に行った頃です。

40歳を過ぎてふたたび大学へ

恩師の大学教員生活最後の年に、運良く、大学で学ぶ機会を得る事が出来ました。

ラヴェルから直接全曲指導を受けたペルルミュテール氏や、エドウィン・フィッシャーの系統のヴァシャヘーリ氏の教えを、恩師からお聞きできたことです。ピアノで「歌う」ということがどういうことなのか、腕の力は抜いて柔らかな音を出す秘訣、作曲家がその曲を生み出した時を辿る様にイメージすることなど奥義に触れるうちに、音楽への真摯な思いは更に深まりました。

(つづく)