徒労でも無かったドビュッシーの家探し(2)

ドビュッシーの生家

開館時間がたったの2時間、しかも、「夕方」という、行楽気分の盛り上がらない条件下で、郊外に行くのは、実は気が進まなかったので、ぎりぎりまで他の予定を過ごしていた末の決断。

こんな時は、「絶対行く」という気持ちが欠けているので、やっぱりだめなのかもしれません。

しかしながら、この土地を実際に見てみたことは、収穫でしたicon_razz.gif

「国家の品格」を著された、数学者の藤原正彦氏が、別のご著書で書かれていますが、「天才の生まれた場所の側には、必ず、美しい(自然の)場所が在る。」(文章自体はうろ覚えで、大変失礼します。)といった内容を思い出します。

ドビュッシーは、父の仕事の都合で、フランスの中を転々として幼年期を過ごしたそうですが、少なくとも、この生まれた土地は、フランソワ一世の城や、太陽王ルイ14世が誕生した館があり、その後、ベルサイユの庭園を設計したルノートルにより造られた、広大なパークや、テラスがあり、野性味あふれる自然に満ちていたのです。

これは、作品の中に、自然の描写を好んで題材とした、ドビュッシーの作風に影響を与えていないとはいえないであろうicon_razz.gif

公園は、雪で覆われていましたが、季節が違っていれば、また別の顔を見せるのに違いない。と思います。(下に、雪のため不毛地帯の様な、広大な公園と、イタリア風の平らな屋根のフランソワ1世のお城を載せますが、がっかりしないで下さいね。雪のため、雪のため。)
雪に覆われた広大な公園…CIMG5134

Filed under: 旅行つれづれ,音楽史 — 11:08 PM
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