転校して行く生徒さん達に向けて!
この仕事をしていると、毎年、この季節の物悲しい風物詩として、転勤で転校していく生徒さんとの別れがあります。
(転勤以外では、昨年の「避難」という特例を除いて、中途で辞めていかれる方は、私の教室では殆どいません)
転校を告げられると、私はどちらかというと冷静なので、保護者の方が「もっと驚かれると思った…」という様な事を仰った場面がありましたが、それには訳があります。
遠くに離れられるのは、本当は、凄く悲しい。折角、心を込めて育てて来た生徒さんとも、良い方揃いの保護者様とも、お別れするのは、実はとても辛いのです。
これはピアノ講師の宿命でもあるし、悲しみに直面するのが土壇場では辛いので、ある程度前から覚悟をして置く癖がついてしまっています。
この度の様に、「福島県から離れた方が幸せ」でもある場合(それぞれの状況があり一概には言えませんけれどね!)、私は、やはり、祝福してあげたい気持ちが大きいのです。子供さん達や、お若い方や、子供さんを持つご家族の将来の為に。
丁度転勤の都合で、ご家族が揃ってそう出来るならそれは良い事です。
池ノ台はモデル地域だったから多少済んでいたけれど、除染が5ヶ年(3ヶ年?)計画だなんて、悠長すぎやしないですか!?
転勤を告げられた時は「そのご家族の為には良かった!」と言う意味合いの方を、先に明るく伝えてしまい、次の先生を、私の知っている限りは考えてあげたいなとは思うのです。
本音では、寂しく無いなんて、ほど遠いんですよ〜!
出来る事なら最後まで面倒をみたいのですから…♡
転校するお子さんとの時間は、後4回。。
(でもね、子供さんって、順応性があるので、大丈夫なんです!)
今日は、3歳のお子さんのレッスンをしていて、もうピアノが弾ける様になっているので、弾きながら、チラチラ私を見るお顔を見ながら、「先生じゃなくて、おんぷをみるんだよ〜」と言いながら、何度も目が潤んでしまいました。でも顔は笑顔なんだから、泣き笑いってやつです。(風邪をひいていたら、マスクで隠せたのにな…♪)
次の時間帯で、その小さい子に会いたい一心で早く到着する年長さんとのレッスンでも、『なんて上達したんだろう、初めて来た時はあんなに小さかったな…』と思いながら、一緒に過ごした日々を思いました。
プライベートでは泣き虫の私が、仕事では殆ど涙をみせた事など無かったのに、昨年の、震災絡みの大避難で、当時、沢山の生徒さん達とお別れをしたショックとも関連があるのでしょう。
ですが、自分がピアノを通して教育に関わった生徒さん達の将来の幸せは、私は心から願っています。
幸いな事に、熱心なピアノの先生仲間の人脈に恵まれ、それは、こうしてブログを書く様になってからの事なので、まるで、この福島県の災難に備えて…みたいで、私としては、かなり複雑な心境ではありますがこんな不測の事を知る由もなかった頃からのご縁ですので、結果的には生徒さんに、良い先生を紹介して差し上げられる事を感謝しています。(場所に寄りますので、無理な場合はありますよ)
最後に、モスクワ音楽院で長年教鞭を取っておられた、ヴェーラ・ゴルノスターエヴァ教授の著書から、印象に残っている箇所を引用します。
〜「常に、「繰り返し」から逃れられないという意味では、教育者とは不幸な存在である。ー中略ー私達は、生徒が成長し、より広い世界に出ていく様子を見守る。一方、自分自身は教室に残って、同じことを繰り返さなければならない。いつも同じことを。」〜
素晴らしいピアニストを輩出なさった偉大な方が、こんな事を感じておられたという事を、読んだ当初(ピアノ講師になったばかりの頃)、ある種の寂寥感を味わいました。
〜♬
でも、「転校しても、あつこ先生に習いたい」と本気で仰って頂いた時は、本当に嬉しかったです!
長年教えた生徒が進学のため、3月いっぱいでやめることになり、今、私はさびしい気持ちでいっぱいです。
あつこ先生は懐広い先生ですね。
モスクワ音楽院の教授の言葉、深いですね。
私も生徒さんの将来を応援します。
ちか先生、コメント有難うございます!
長年教えた生徒さんですか・・・、それはとてもお辛いですね。。
進学の門出を祝いたいお気持ちと、小さい頃からみて来られたお気持ちと、様々で複雑に寂しいものですよね。
モスクワ音楽院の先生の本からの言葉、ある種の虚しさがあり、それでも続けて、新たに成長を見守っていかなければいけないんだと、思ったんですよ。
この季節は、ほろ苦い季節ですね!
私は、ただピアノを習っただけのものです。エヴァ先生の
レッスンは、平成6年10月から12月まで、拝見していました。後藤正孝君が、小学4年で、レッスンを受けていました。今は、彼も大人になり、ピアノコンクールで、1位になりました。なんて、可愛い子が、今は成人ですね。
時が経つのも早いものですね。
エヴァ先生に向けて〜
先生との出会いは、NHKの教育テレビでした。凄い手腕を
発揮されていて、生徒さんも大変そうだな、と云う想いで
拝見していました。もしも先生に教えてもらえたら、ととんでも無いことを考えておりました。演奏も上手く、教えるのも上手いピアニストは、そうはいません。私は、先生のテレビを、ビデオで録画していました。
FUMIさん、はじめまして。コメント有難うございます。
私も、あの放映はかかさず録画して観ていました♪
「演奏も教えるのも」本当に上手いピアニスト、流石モスクワ音楽院の…といった貫禄でしたね。
バッハの時などのレッスンもわかりやすく迫力に満ちていたのが印象にあります。
通訳の方の声のトーンもなんだか記憶に残っています。
ピアニストの上原彩子さんも、あの時はまだ少女でしたよね。
時の経つのは早いですが、あの時のTVのお話しが思いがけず出来て良かったです。
追記:ビデオ録画とDVDに関しては、申し訳ございませんが、私は現在、保存はしておらず、お役には立てそうもありません。宜しくご了承下さいませ。シリーズでまだ売っているかもしれないですね。。
ぺるる様
御尽力頂きまして、ありがとうございました。私の宝物は、テキストと、録画したビデオだけです。
ところで、リストを弾いていた上原彩子さんが、ピアニストになっていたとは、びっくりしました。良かったですね。後藤正孝君も、コンクールで1位入選していましたし。これも、エヴァ先生に指導して頂くと、違ってくるのでしょうね。カリスマ的存在が致します。
エヴァ先生も、もう83歳益々ご活躍のほどを。私も、かげながら応援しています。