アンドラーシュ=シフのベートーヴェン

今夜(8月12日)は、21時過ぎからゆっくりする時間が出来たので、まだ聴いていないシフのベートーヴェン後期のCDを聴くか、はたまた、鶏ガラの出汁を煮込むか、読みたかった本を読むかのどれかにしようと計画していました。何せ、明日は、お盆の入り。。。今日も花市などで「ほおずき」を売っている情景を目にしたり、お盆一色でしたので、明日の夕方までには、ご先祖様をお墓からお迎えに行かなくてはならないし、今日までが、静かに浸れる時間と思ったからです。

今夜、21時過ぎの時間、3択肢で迷う程もなく、あっさりと、シフのベートーヴェンの後期のCD鑑賞へ!あまりにも感動し、他の選択枝は瞬く間に消えてしまいました。シフが、近年、ベートーヴェンの全曲演奏に取り組んでいることは周知のことでしたが(しかし、40代で決意し、『学び終えた』と記述しているのは、その十年後sign01.gif)、後期のソナタのCDを聴いた今夜、私は、興奮せざるを得ない心境になりました。

私の好きな(と申しては失礼で、「敬愛する」と申した方が適切な、ベートーヴェンの後期のソナタや、ショパンのバルカローレ、ドビュッシーの喜びの島(学生の頃〜弾きましたが、あまりにもガキんちょで歯牙にもかからなかった…)や、今後弾きたいプレリュードの数曲、そしてフォーレの50代以降の作品)などの曲は、どうしても身の程知らずか、その作曲家の円熟期か後期の作品に集中してしまいます。

しかし、弾きこなすのは無理でも、「共感」しない事には、品の理解は到底及ばないですし、弾く意義も無いと思われます。そういった意味でなら、私は、少なくとも、おおいた作品を選んで、人生の限り在る時間を使うことに喜びを感じております。(しかし、更に、作曲家がそこまで到達した軌跡を辿り、自分との乖離を狭める意味では、もっと若書きの作品を勉強する方が、自分に無理が無い、と考える様になりました。)

母校の客員教授でした故・ゲオルグ=ヴァシャヘーリ氏の演奏会で、(当時90代でした氏の演奏に接して)得た感動が大きくて、その後、エドウィン=フィッシャーなどの演奏をCDで聴いても、凌駕する演奏に巡り会わなかったのに(録音状態の問題もあります)、今夜、素晴らしいシフの演奏に出逢ったことは、大きな幸せでした!又、プログラムノートにありました、ベートーヴェンの直筆楽譜。3楽章の「嘆きの歌」など、到底、私の理解に及ばなかった領分が、弾く上で、知らぬ間に少なからず共感出来ていました。

オペラ「椿姫」の3楽章のアリアでしたか、或る漫画で『この場面を表現し尽くす為に、そういう経験を敢えて持ったか』は、定かではありませんが、去年の私より、今年の私の方が、曲への理解の乖離が少ないというのは、芸術を志すものの、習癖なのでしょうか。。少なからず、人生経験に因るものです。

それにしても、シフ程のピアニストが、op110、op111のソナタにあまりにも敬意を払っていたため、「一体、こんな曲に手を触れて良いものか」と、若い頃、べートーヴェンを意識的に大きく迂回していた、と言う事実に、偉大すぎる芸術への謙虚な姿勢に大きく学ばねばなりません!

又、私は9月の、ハイドシェックのリサイタルを聴きに行きますが、何故、コルトーを初め、「子供の領分」をレパートリーにするのかの意義を感じて来たいと思っております。
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Filed under: CD,ピアニスト,音楽 — 12:01 AM
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