涙の都をどり
避難のこと・・・3月17日に那須塩原から新幹線に乗車し、東京での一泊を経て、京都の高台寺のほど近くの旅館に、初めはお客として、その後、宿のご主人のご厚情に甘え、居候のような形で置かせて頂いているのです。
郡山に残っていた方のことを考えると、なかなかこのことは書きにくかったです。
何度か、帰ろうかと思いましたが、どうしても帰れなかった。。
朝に夕に聞こえて来る、お寺の鐘の音。
気を遣わせない様に思いやって下さる宿の方々。この暮らしやすさと、原発事故発生後の、窓を締め切って息を凝らして過ごした一週間近くと、比較してもしょうがなく、言葉がありません。
歌舞練場の天井桟敷で、昨日から始まったばかりの「都をどり」の、四季の移り変わりを表現した息を飲む美しい舞いを観ながら、昼間にお電話を下さった、郡山を離れることになさった保護者の方からの涙の電話を思い、涙が止まらなくなってしまいました。
お別れに際して「ほんとに、原発のことがなかったら。」と、声を詰まらせて下さったお母様。おっとりとして、いつもきちんとしていらした、私の大好きなそのお母様は、偶然にも京都のご出身なのです。そのときお聞きしたお言葉や貴重な涙を流してくださったことを忘れたくないので、この日にこの事を記して置こうと思った次第です。
「これから、でしたのに、、」と仰って下さったように、半年の短い間でしたが、可愛いお嬢さん達のことも、優しいお母様のことも忘れません。
この仕事を通して、このような良い方と出会えて本当によかったと思っています。
こちらこそ、今までありがとうございました。あのお写真は、あのままあそこに飾らせて頂きますね。
まことに、原発から放たれる放射能は、離れなくともいい家族を引き離し、別れなくとも良い人間関係を離させる、魔物なりけり。
そうだったのね・・・
どうやって京都に滞在しているのか
大変な費用がかかっていないか
ご親戚に肩身の狭い思いをしていないか
気になっていたので
教えてくれてありがとう。
お別れしなければならない方は
もしかしたら、また増えるかもしれない。
心が折れそうになると思うけれど
1人でもあつこさんを慕う方が居る限り
熱い思いを失わないでください・・・・!
みかさん、有難うございます( i _ i )
そうですね…、この度の事で、各ご家庭で様々に悩んでいらっしゃると思います。
決意するのも、本当に断腸の思い、残るのも、気持ちの差はあっても覚悟はいるし、あとは政府の言っている通りに、
健康への影響が無いことを、心から願うばかりです。
私はまず、戻って、みんなの顔を直に見て来ます!
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[…] [花道、長い髪が玉三郎さん](拡大します) 話が昨春に遡りますが、避難していて戻って来る直前に、南座で、玉三郎さんと中村獅童さんの歌舞伎を観ました。(都をどりの話は以前書きましたが、さすがにあまりは書きづらかったんです。)着の身着のままの日々に、お世話になっている旅館の手前、あまり洋服を買い物袋下げては帰れない心境で、アトリエ先生から頂いたばかりの淡いゴールドの服で、いつもの四条通りを歩いた時の爽快感。背筋が伸びました。 やはり、衣服住は人の支えです。 [側面からみた南座] お二人の震災のトークの日もあったのですが、その日は逃し、二編からなる歌舞伎をまたもや桟敷席の辺りで観ました。 初めての歌舞伎鑑賞でしたが、話が、女形の(玉三郎さん)美しい人が、実は大きなネズミだったとか、大蛇退治(きゃ〜!)とか、そういうおどろおどろしいお伽(?)話でした。 驚いたのは、中村獅童さん。 意外でした。 こんな事を書くとなんですが、プライベートの話のイメージが強かったので…すが、バリバリの歌舞伎化粧に、あのキメのポーズ「見得(みえ)」(歌舞伎特有の…足の踏ん張りとか、口元と目の表情とかを静止してポーズをとるあれです!)が、すごく決まっていました。 やはり、本業に打ち込んでいる姿は、人を凛とさせる それを強く感じた観劇でした。 にほんブログ村 Filed under: アート,旅行つれづれ — admin 11:37 PM トラックバック […]
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